- 1141年
- 父・漆間時国、明石定明の夜襲に遭い、死去。
- 1147年
- 比叡山に上る。
- 1150年
- 比叡山西塔黒谷の叡空に師事し、法然房源空の名を受く。
- 1156年
- 比叡山を下り嵯峨清涼寺に参籠後、諸宗の学僧を訪ねる。
- 1175年
-
善導の『観経疏』を読み、専修念仏に帰する(立教開宗)。
比叡山を下り、白川禅房が建つ丘の上で念仏を称えられる。
高倉天皇に戒を授ける。
賀茂上社司の漆間氏一族の招きに応じて神宮寺加茂の河原屋に入り、念仏を称えられる
- 1185年
- 慈円僧正の招きで天王寺へ参詣しお念仏を称えて日想観を修せられた。
- 1186年
- 大原勝林院において諸宗の碩学の前で浄土の教えを示す(大原問答)。
- 1188年
- 清水寺で説戒し、大勧進印蔵によって初めて常行念仏を修せられる。
- 1190年
- 重源に請われ、東大寺で浄土三部経を講ずる。
- 1191年
- 高野山参詣の帰路、聖徳太子の誕生地橘寺へ参拝。
- 1193年
- 関東の武士熊谷直実が出家し上人の弟子となる。
- 1195年
- 奈良大仏殿再建落慶供養の導師を勤める。
- 1198年
- 九条兼実の求めにより『選択本願念仏集』を著す。
- 1207年2月
-
念仏停止の院宣が下り、土佐に流される。
途中立寄られた地にて念仏化益される。
- 1207年3月
- 九条兼実の配慮で、讃岐に留め置かれる。
- 1207年12月
- 勅免の宣旨が下るも入京は許されず、摂津勝尾寺に止住する。
- 1211年
- 入京の勅許が下る。
- 1227年
- 延暦寺衆途、大谷の法然上人の墓を破却し、『選択本願念仏集』の版木を焼却する。(嘉禄の法難)
- 1228年
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大谷から難を避けていた法然上人の遺骸を粟生野にて荼毘に付す。
真言宗の学匠静遍僧都は浄土教に帰依する。
- 1370年
- 知恩院第十二世誓阿普観は勅許をえて、上人御影像と勅修法然上人行状絵図等を大和国當麻寺に遷す。
※年表は各寺院の伝承によるものもございます。